
Amazon の本の評価欄に、冷静を装った興奮状態の長文レビューがたくさん(←怖いのでリンクしていません。ご興味おありになる方は、読者の方はご連絡くださればお送りします)。こういうのを読むと、切なくなります。
レビューされている本は読んだことはありません。(←とくに興味なし)
切ないのはレビューのほうです。
クリエイティブなことをしたいのにやらないでいる・できないでいる人の、嫉妬と羨望のマグマがフツフツゆだってる長文レビューが切ない。
小さい頃から親に「アートは絶対にダメ」と言われて育ったり、
小さな自分が誇らしく見せた作品を、先生にけなされたり、
「受験勉強のじゃま」と好きなことをやめさせられたり、
悲しい思いをたくさんしてきたのかもしれません。
お金にならないことはやる価値がないとか、
上手でないならやる価値がないとか、
人に見せられるレベルとか見せられないレベルとか(とにかく様々はレベル設定がされているんだと思う)
売れないアートはただの趣味であって本当のアートとは言えないだとか、
売れるアートはきたない拝金主義であって、真の芸術ではないだとか、
完璧にできないならやらないほうがましだとか、
今から始めてもみっともないとか、
人になんと言われるか恥ずかしいとか、
そういう言葉たちが、石に彫った文字のように、頭に心に刻まれているのかもしれません。(そういうの刻むと傷も刻まれていくのよ!ひどいわ!)
ていどの差こそあれ、ほとんどの人は上のようなメッセージを、周囲のおとなや社会から受け取った覚えがあるのではないでしょうか。わたしも心当たりがありますよ。
そんなこんなで大人になっちゃったわたし達は、「こういうこと言われたんだよ子どものときに!ひどいよな」と周囲の人に話していいのではないでしょうか。
でもって、もしも誰かのことを「自称アーティスト」と呼びたくなったら。もしも誰かのことを「どうせ趣味ていどでしょ」と冷笑してる自分に気づいたら。
その誰かに猛烈な嫉妬を感じたら。
今がクリエイティブなことをはじめる良い機会なのかもしれません。きっと良い機会ですよ!それがなんであっても。
小さなことを何かひとつ、どうでしょう。小さなパーツが合わさって壮大なプロジェクトになるのだからして。
クリエイティブっていう言葉には「独創的な」という意味がありますけど、ほんとそのとおり。他の誰でもない「あなた」がつくったから独創的なのですよね。他の人じゃなくて。
(と、遠いところの見知らぬ人たちにこんなメッセージを送ってるわたしはいったいなんなのだ。ま、いっか。)
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