ずいぶん前に、ある若いサラリーマンの方が書いた記事を読みました。このような内容です。

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平日の昼間、通りの向こうにダンボールを山のように積んだリヤカーを引っぱる男性をみかけた。彼の顔は苦渋に満ちている。

よく見たら、数年前に脱サラして起業した、同じ会社の先輩だった。できる男と社内でいちもく置かれていた人で、尊敬していた。

いまは汚れた格好で、汗だくでリヤカーを引いている。何があったのだろうか。起業した会社はうまくいかなかったのだろうか。

スーツ姿の自分が訊いてはいけないような気がする。声をかけることができなかった。自分も将来起業したいと思うが、心が重くなった。

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会社を辞めて起こした事業に失敗した先輩→何もかも失って野宿生活→ダンボールを収集していくばくかの現金収入を得る→自分とは違う世界→落ちぶれた彼のプライドを傷つけないように声はかけない→自分が恐れる最悪のシナリオを見てしまった

という「物語」は事実なのかもしれません。

でも、もしかすると事実ではないかもしれない。

そこのところは、リヤカーを引いてるご本人に訊いてみないとわからないからです。

もしかすると:

ダンボールを山のように積んだリヤカーを引っぱるのは、重労働です。

わたしは1984年に初めてトライアスロンというものの応援に行きました。

ランの途中、みんなの苦痛に歪みきった顔をみて「だれか死ぬ。びえーーん」と動揺したわたし。

レースのあと、バナナやヨーグルトをモリモリ食べてる人々に腹が立ちました。

ダンボールを山のように積んだリヤカーを引っぱったら、そりゃ苦悩に満ちた表情にもなりますし、大汗もかきます。

汗をかいてもよい服装ですから、スーツは無理です。ダンボールにさわったら汚れます。

その先輩は脱サラしてどんな商売をしていたのでしょうか。(著者の方はそういうことに興味はあるのかな?)

ダンボールは何に使うのでしょうか。リヤカーってどこで手に入るのかしら。ダンボールを移動するのは業務の一部でしょうか。

脱サラして商売はうまくいったし会社も安泰だけど、それとは別の理由で野宿生活をしているのかもしれない。

あるいはもしかすると仕事のあいま、平日に時間をとって、仕事以外の活動をしていたのかも。

世の中ってほんとにいろんな人がいて、わたし達の想像のおよばないような、思いもかけない展開があります。

わたしやあなたが考えつくのとはまったく違う事情があるのかもしれません。

それでもわたし達はやっぱり、自分の「物語」を自分以外の人にあてはめてしまいがち。人とかかわるということは、自分の「物語」をいったん捨ててみるということです。

著者の方が考えていらしたとおり先輩が困っていて、もしも手助けを欲しいを思っていたら、声をかけて訊いてみてよかった!なシナリオ。力になれるかもしれない。

著者の方が考えていらしたのとはまったくちがう場合でも、あなたの「物語」ではない、おもしろい話が聞けるかもしれません。

 

本日のスペシャル

この話をして「Sちゃんだったらどうする?」と友人に訊いたら、
「◯◯さーん、ひさしぶり。ダンボールなんにすんの?手伝うよ」かな。(←力持ち)

1日1新:A4のCampusノート
1日1冊:Oliver Theobald「Machine Learning for Absolute Beginners」開始

↓横になってぼーっとドラマ鑑賞もたまにはいいですね。字幕は「それに惹かれるのは分かるけど–」

let go of your narrative