「キャッチバー方式」という言葉は、わたしの元夫が作りました。(キャッチバーというのは、「3,000円で飲みませんか」と誘ってお客を店に連れてきて飲ませ、あとから十万円請求するようなお店)
家族の誕生日を祝うので、ぜひ家に遊びに来て!と遠い親戚に誘われて、休日ふたりで、うれしい気持ちでお花とワインを持って家にうかがいました。そしたら
居間の真ん中にコンピュータとデバイスがばーん、とセットアップされていて、有無を言わさずITヘルプデスクとして無償労働するはめに。
パソコン作業が終わったあとにご馳走をいただいて、おいしかったし楽しかったけど、だまされ感は消えなくて、気持ちよくなかったです。
「今日はキャッチバー方式だったね」
と苦笑いしていたけど、彼の気持ちが傷ついているのもわかりました。好意で呼んでもらったと思っていたのに、何かをしなければ家に呼んでもらえないんだと思ったら、悲しくなりますよね。
昔の同僚に「新居お披露目パーティーにいらして」と呼ばれ、知らない町に行きました。玄関で靴とコートを脱いで、案内された席の隣には白人の男の人がふたり。
「あーー通訳が来た来た、皆さん、じゃ彼女(わたしのこと)が通訳するから」
人間として紹介する前に、いきなり機能とサービス内容で紹介?新居祝いとしてひとしきり通訳ロボットになって、適当なところで帰ることにしました。
通訳って、やってる間は、人と会話を楽しむことも、食べたり飲んだりも、リラックスもできません。おにぎりを1ついただいて、帰ってきました。千葉からの帰り道が長かったなあ。心が傷つくんだってば!
(「勧誘はご遠慮ください」の勧誘が非常にイヤがられるのは、勧誘だとわかったときに心が傷つくし悲しいからだとわたしは思う)
もうその場に来てしまって、みんなの見ている前で(ご家族やお友達や、新しく知り合う人々ですよ!)
「そういう話じゃないので帰ります」とか
「それはイヤです」「やりません」
とは、誰しも言いにくいです。断ったらその場の雰囲気が壊れるようになっている。(←わたしは状況によって壊しています)
キャッチバー方式で物事をする人は、それを見越して「誘って」います。絶対に断られたくないのです。相手に NO と言わせない(どころか YES も MAYBE も言わせない)、相手に選択権を持たせないやり方です。
相手の人間性には興味がないのです。
前もって「私はこれが欲しい」「私はあなたにこうして欲しい」と言わないのは、自分の思い通りにならないのがイヤなのです。絶対に相手を自分の思い通りに動かしたいのです。
わたしは支配するのもされるのも苦手な性質なので、そういう人とは距離を置いて、なるべく避けるようにしています。
「おっ。これはキャッチバー方式だから断ろう」とか、行ってから「おっと。キャッチバー方式であった…」とか、生きてるといろいろありますが、自分はキャッチバー方式をやらければいいかな。
答えが YES でも NO でも MAYBE でも梨のつぶてでも、自分の欲しいことが欲しいと言えるのがいいです。
(それにしてもキャッチバー方式っていう言葉、センスありますよね!)
本日のスペシャル
最近の1日1新:A4サイズのオリジナルハンドバッグ開発、竹の歯ブラシ、室内ドアのフレームと巾木(はばき)の色を変える、
1日1冊:Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2018年8月号 [瀬戸内シティガイド]、Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2018年9月号 [ライフスタイルホテル] 、Ijeoma Oluo「So You Want to Talk About Race」各少々
最近よかった話:
友人に、過去に悪徳商法めいたことで業界で有名になった方(Aさん)から、まったくの別件で「コラボレーションしませんか」という申し出があったそうです。同僚たちは憤慨し、提案してきたこと自体が犯罪かのように騒いでいたそうです。
友人も同僚たちも、実際にAさんと面識があるわけではなく、悪い噂を見たり聞いたりした、という程度。案件は流れたそうですが、担当者として断りの電話を入れた友人の、ニュートラルな対応がすてきでした。皆はAさんをモンスターみたいに言ってるけど、
「(Aさんは)ふつうの人だったよ。私は『罪を恨んで人を恨まず』だからね」
と友は言うのです。そうそう。相手は「人」なんですものね。
👍🏽罪を恨んで人を恨まず
👎🏽坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(←仮想敵を設定するタイプ)
↓マイ寺「妙法寺」は、秋分の日までは週末のみ公開。