知り合いの方やブログ読者の方から、
- どうやって病院を探したのか?
- ドクターはどうやって見つけたのか?
- いい病院を紹介してくれないか?(ごめんなさい、ブログではご紹介しないことにしています)
と訊かれることがあります。
みつけた経路としての「どうやって」と、考え方としての「どうやって」に分けて、わたしの経験と思ったことを書きますね。
経路としての「どうやって」
わたしが病院やドクターをみつけた経路は、大きくわけて3つの方法です。
- じたばた
- 偶然
- 直感
じたばた
じたばたって人生にけっこう重要です。じたばたしている間に病気や自分の体について学んだことってすごく多い。
無駄なことはひとつもなかったと思っています。(これからもないと思う)
Google Scholar(グーグル・スカラー)で膵炎関連の論文を探し、それを書いたドクターのクリニックに行ったことがあります。
ドクターは膵臓研究を愛する、とても感じよい方。日々の症状や病気のあれこれについて話がはずみ、楽しいひとときを過ごしました。
でも、やめときました。わたしが病気でドクターがこんなにうれしそうだと、あんまり病気が良くならなそうな気がしたのです。(←引き寄せ的に違う気が)
あるときは膵臓関連の学会が東京で開催されるという情報をみつけ、
わたし : ねえねえ、この学会に潜り込んで人柄の良さそうなドクターをスカウトしようかしら
当時の夫: そういうことはヤメなさい。
わたし: 言ってみただけよ!(←0.5%くらい行こうとしていた)
偶然
職場で急に具合が悪くなり、目が回ってヘナヘナに。当時の上司がすぐ近くのクリニックを見つけてくれました。(インフルエンザでした)
そのクリニックのドクターが、ぐうぜん膵臓の専門医でマイドクターです。
わたしが時系列の箇条書きにした体調メモを見ながら症状を伝えていたら、
ドクター: それこっちにください
(ヨレヨレの紙切れをわたすわたし)
ドクター: これっ。こういうの好きっ。
なんか・・・気が合うかも。マウスパッド膵臓プリントだし。(血管とかリアルでこわかったです)
直感1
会食でいちど会っただけの方のブログで見て、ふとひらめいて行ってみた、遠くの歯科クリニック。
ドクターはわたしよりもずっと年下です。でもわたしは長生き家系出身ですので、あと45年くらいは診療を続けてもらえますように。(と勝手に祈っています)
直感2
長くお世話になった婦人科クリニックが遠方になり、通えなくなりました。
新しいクリニックを探すあいだ、ひどい婦人科クリニックにあたり、困憊してグーグルさんに
「もう、もうなんとかして。これでお願いします」
とたのんで、検索結果のトップに出てきたのが、いまお世話になっている婦人科クリニックです。
直感で入れたキーワードがよかった。
(あと、グーグルさんはわたしの好みや行動パターンをよく知っているので。気味が悪いときもありますが役に立つこともありますね)
方法としての「どうやって」
どこに行っても、自分に合う兆候があるかを意識しています。
何かおかしいと感じたら、頭ごなしに否定せず「なになに、それで?」と耳を傾けるようにしています。(わたしの場合、スルーしてしまうと、たいてい後悔する)
自分に合うのはどういうものか、気が合う人はどういうひとか、大切にしている価値観は何か。
そういうことを基準に決断するようにしています。(ときには妥協もします。落とし所って大切)
ベストな医療ケアは、人によってそれぞれ。どういうドクターと気が合うか、とか、どういうケアだと安心する、ってみんな違うと思うのです。
状況だって違う。タイミングだってある。
でも、自分はこういう人だ、自分は*本当は*こうしたい、ということを明らかにして表現できると、欲しいケアが手に入りやすいです。
医療ケアを受けるというのは、身も心も裸になるということ。ひどい医師にあたると傷だらけになります。
心で体調をひっぱっているところのあるわたしには、死活問題なのです。(体調がすべてを統治しますから最優先です)
少しでも参考になれば、うれしいです。どうかあなたも、おだいじに。
本日のスペシャル
1日1新:Tea Saloon Acanthus
1日1冊:Marc Lewis「The Biology of Desire: Why Addiction Is Not a Disease」、熊谷晋一郎「リハビリの夜」続き。
↓香りについて行ったら咲いていました。犬?浦賀にて。