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食べものについて書いたり話したりするとき、わたしは『ヘルシーな』『身体によい』といった言葉を使わないようにしています。
さらっとした(それこそヘルシーな)響きですし、人畜無害的によく使われる言葉ですが、膵臓をいたわる人々にとっては有害だからです。
この記事では、
- 膵炎もちの人にとって『ヘルシーな』『身体によい』という言葉がなぜ要注意キーワードなのか
- 要注意キーワード、他には?
- 要注意キーワードの代替案は?
この3つを書いていきます。
膵炎もちの人にとって『ヘルシーな』『身体によい』は、なぜ要注意キーワードなのか?
ヘルシー
邪悪な言葉ではぜんぜんないけれど、ただ漠然としている。あいまいなんです。
- ヘルシーっていうけと、具体的にどういう意味?
- ヘルシーっていうけど、脂質何グラム?
- ヘルシーって、誰にとって?
物やサービスやアイデアを売るのに便利だからでしょうか。あまりに使われすぎて、ヘルシーという言葉にはたいした意味が残っていない。
あたりさわりのない会話における、私はあなたに興味ありません、あなたも私に興味ないですねー、という合図のような、空虚なことばです。
膵臓をいたわる人は、食べる場面であたりさわりのない会話をしていると、激痛に苦しんだり入院したり仕事ができなくなったり(中略)命にかかわることもあります。だから要注意キーワード。
身体によい食べもの
身体によい食べもの。身体に悪い食べもの。誰の身体にとって??
- あなたの?
- わたしの?
- 誰か他の人の?
食べものっていろいろなものがあります。栄養素密度が高い食材⇔低い食材、糖質が高い⇔低い、加工度が高い⇔低い、脂質が高い⇔低い。
すべて、単なる食べものですよ。正しい食べ物、正しくない食べ物。崇高な食べもの低俗な食べもの。そんなものはありません。
敵味方も勝ち負けもない、ニュートラルな存在です。
食べものに善悪や優劣をつけたくなる気持ちはわかります。病気で不安なときは誰だってマルバツ式のわかりやすい答えが欲しいし、誰かに判断をゆだねてしまいたい。
膵臓をいたわる人は、食べる場面で誰かに判断を丸投げしていると、激痛に苦しんだり入院したり仕事ができなくなったり(中略)命にかかわることもあります。だから要注意キーワード。
他にも要注意キーワードは?
健康的な○○、健康になる○○
-
- 健康的っていうけと、具体的にどういう意味?
- 健康的っていうけど、脂質何グラム?
- 健康になるって、誰にとって?
ヘルシーと同じく漠然とした意味合いで使われています。
ところで世界保健機関(WHO)では『健康』をこのように定義しています。
「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。
到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである(定訳)」
健康・・いいじゃん。やってやろうじゃん。
ノンバター
タイトルに「ノンバター」とあるレシピの材料をチェックしてみてください。
油や卵が入っていませんか?
オイルもバターと同じ、脂質です。
ノンオイル
タイトルに「ノンオイル」とあるレシピの材料をチェックしてみてください。
豆乳、牛乳、卵、アーモンドプードル、ホットケーキミックス、チョコレート、ヨーグルト、ナッツ
こういうものが入っていませんか?ぜんぶ脂質入りです。(脂質gは別の記事にまとめます)
よいオイルわるいオイル
瀬戸内海の離れ小島の小さなオリーブ園で千利休みたいなおじいさんが手塩にかけて育て、ひとつひとつ手で摘んで手で絞った、観測史上最も高レベルなオレイン酸含有量の、スーパースペシャル・ゴージャスプレミアム・エキストラバージンオリーブオイル*でも、
(もう一度いいます)脂質です。
*こういうのいつか食べてみたい。
要注意キーワードの代替案は?
あなたが好きな食べものは?
脂質これくらい。たんぱく質これくらい。
これ好き❤
おいしい。
あなたの身体に合う食べものは?食べ方は?
あなたの状況に合う食べものは?食べ方は?
お腹に大丈夫だった実績のある食べものは?食べ方は?
あなたにとってちょうどいい量は?
いまどんな気分?
おまけ:お腹が痛くて考える気力のないときはどうしたらいいのか?
そういうときは「要注意キーワードは」とか考えてる場合ではないですよ~。
こんなブログを読んでないで状況に応じて寝るとか痛み止めのむとか病院へ行くとか人を呼ぶとか救急車を呼ぶとかしましょう。してください。
本日のスペシャル
いつもの書店を定点観測中に「本当の自分に出会えば、病気は消えていく」という本を発見。ひとの弱みにつけこむひどいタイトルだと憤慨しながら中身をみたらひどかった。。(メッセージはひどいけど本は興味深い)
「本当の自分」は、朝の5時にぷんぷんこんなブログ書いてるわたしと、こんな長い記事を読んでくれてるあなたです。
あなたもわたしも本当の自分とはすでに出会ってしまっているし、こうして毎日ジタバタしつつ生きているのが本当のわたしと本当のあなたなんですもの。
病気が消える可能性はあります。でも何かをしたからって(たとえば本当の自分に出会うとか?)病気が消えるかといったらそうではない。
悲しいことだけど、できることをやっていても病気が悪くなることはあります。その反対もまたしかり。このさき病状がどうなるかを知ることなんて、できないのです。
病気が消えないのは何かをしていないせい、と思うと
(だから何かをしなければ)(だから自分が不十分なのだ!)(あるいは誰かのせいなのだ)(足りない!)となりがちですし、
病気が消えないのは何かをしたせい、と思えば
(だから身から出た錆)(だから70万円だしてお清めしてもらわなければ)みたいなことになりますので、ご注意ください。
病気になったのは、あなたのせいではありません。(そもそも百歩ゆずってあなたのせいだったら何だって言うのでしょう?)
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数十年前のある日、叔母が焦げ目のばっちりついためっちゃおいしそうなトーストをお皿に乗せて:
叔母: さ、どうぞ。がんにいいのよ♪
わたし: い・・ただきます。
叔母のトーストは分厚く中身フカホカ、耳の端っこギリギリまでバターが途切れることなく塗ってあるのです。おいしかったな~。いまもバタートーストが大好きです。
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