自己嫌悪・・
食品スーパーのレジに並んでいるとき、ついつい人のカゴの中身を見てしまうことはありますか?
わたしは、あります。というか、くたびれすぎていない限り、絶対みます。(じぃーっと見たらヘンですから、何気なくです!)
人が選んだ食べ物は目新しく、発見もありますから楽しい。
ふむふむこのお宅、今夜は鍋なのね、白菜ではなくてきゃべつなのね・・どこ風かな、とか
焼き豆腐派なんだな、気が合う!と親近感をもってしまったり(わたしも鍋は焼き豆腐派です)
あの洋梨、色がきれいだから真似して買っちゃおう、と洋梨を探しに売り場に戻ったり(マルグリットマリーラという名前の大きな梨でした)
そんなことはしょっちゅうです。
そしてたまに
うっ・・このひとぜんぶパックのニセモノの食べ物・・・やだなぁ・・だめだなぁこのひと。
と、
見も知らない人を裁いている自分をリアルタイムにキャッチして愕然とすることがあります。きっと顔にも出ていたことでしょう。
自己嫌悪です。(すぐに立ち直りますが、そのときのショックはけっこう大きいです)
レジの前に並んでいた人の事情なんてわからないし、そもそも人が何を買ってどう食べようと、そんなことはその人の勝手。わたしの関知したことではありません。
さらにそもそも、誰かが食べているものと、そのひとの人間性は、無関係。
食べ物なんて人それぞれの状況に合った好きなものを食べればいいのです。
自己嫌悪をもとから絶つ
小さい自己嫌悪でも、あるより無いほうが気持ちよく生きられますから、自分にこんな質問をすることにしています。
1.なぜわたしは裁いてるのか? → 自分の人生に不満がある? → Yes(Noならば2.へ) → それは何? → 満たすにはどうしたらよい? → 満たす → 終了
2.これは裁くような問題? → Yes(Noならば終わり) → 3.へ
3.そもそも裁くことじたいやめる(そうだ、裁かないんだった、と思い出す) → 終了
裁かれた体験からは学べる
わたしが愕然とする理由には、自分もさんざん裁かれる経験をしているからです。
自分がイヤな思いをしているからわかっているはずなのに、食べ物ごときで人を裁くとは・・学んでないではないか、と思うからです。
わたしは遺伝性の慢性膵炎という持病がありますが、仲良くつきあって快適に暮らしています。
慢性膵炎は7割弱がアルコール性。お酒を長期にわたり大量に飲んだことが原因とされていて、アルコール依存の患者さんが多い。
外から見ただけではわたしの膵炎がアルコール性か遺伝性かは、わかりません。なので、治療に通院していた頃は、初めて会う医療スタッフに露骨に「裁かれる」ことがありました。
アルコール依存は治療してるの?お酒飲んでるの?病気なのは自分のせいでしょ?そういうメッセージが言葉から表情から伝わってきました。
裁かれるというのはまさにこういうことですね。裁くのは、やめよう。
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