フード・プッシャーが、あなたに食べ物をしつこく勧めたり、無理やり押しつけたりする理由は、
あなたの対応がまずいから、ではない。あなたの説明が不十分だから、でもない。
彼らにとって、あなたの健康だの命だの幸せよりも、自分の満足のほうが重要だからです。
食べられない/食べたくないあなたに、繰り返し「食べろ」と迫るフードプッシャーの、行動の意味はなんだと思いますか?
- あなたが今夜、激痛でのたうち回っても別にいい
- あなたが一生、血圧を下げる薬を飲み続けてかまわない
- あなたが怯えながら救急車を呼ぶタイミングをはかるのもOK
こういう意味です!
あなたの健康や命を犠牲にしても、自分が気持ちよくなりたいのです。
あなたのことは、基本どうでもいいのです。(そうでなかったらあんなにしつこく「食べろ」とは言いません)
でも仕方ありません。フードプッシャーはただ、自分の満足感・幸せ感を追求中なのです。
誰かが自分のことをどうでもいいと思っている、と認めるのはつらいことです。わたしもガックリします。とほほ。
なるべくそんなこと考えたくない。だからいろんな「しょうがない」を探してしまいます。
「そういう世代だから」
「食べ物がない時代、おいしいものは何よりのもてなしだったから」
「食べ物がない時代、大変な苦労をしたから」
「手料理を子どもに食べさせるのが愛情表現だから」
「家の外で女性がまともな仕事を持てない世代だったから」
あなたがこれまで何度もやめてとお願いしているのに、それでもまだ、しつこく食べろと言う人は…
基本あなたがどうなってもいい、いま自分さえ気持ちよくなれたらいい、と思ってるんです。
がーーーーーーん。
そろそろ認めたほうがいい頃なのかもしれません。
あなたやわたしはただ、自分の健康と命を守るために必要なことをすればよし。(食べろ食べろ攻撃や泣き落としをかわさない方法もこれから書いていきますね)
完璧な対応でなくていいし、
気の利いたやり方でなくてもいいし、かっこ悪くてもいいし、
間違えてヘンなもの食べちゃってもいいし。
ただひとつ、フードプッシャーにとって、あなたの健康(とか命とか幸せ)は、どーでもいいのだ、ということは覚えておいてください。
あなたが激痛でのたうちまわろうが、
入院して絶食絶飲しようが、
血圧が上がって階段上がれなくなろうが、
病気が悪化して仕事を失い経済的困難に陥ろうが、
そんなことはどうでもいいから「食べろ」と彼らは言うのです。あなたがどうなるかは、特に気にしてません。
そんなことよりわたしの存在理由を認めてよ、
ふれあいをさせてよ、愛されていると感じさせてよ、
とフードプッシャーは言っているんです。
しつこく言っときますが、フードプッシャーは、あなたを犠牲にしてでも、自分の満足感と幸せ感を得ようとしている途中。あなたが今どうこうできる問題ではないので!
あなたはあなたの健康と命と幸せを追求してくださいね。(そしてときどきブログも読んでね)
本日のスペシャル
1日1新:豊島屋八十小路わらび餅 湯気ホカホカでした。
1日1冊:Marc Lewis「The Biology of Desire: Why Addiction Is Not a Disease」、樺沢紫苑「毎日90分でメール・ネット・SNSを終わらせる99のシンプルな方法」 少しずつ。