めずらしいことがありました。
参加者10名のランチ会で、(慢性膵炎だけではありませんが)膵臓の病気で食餌制限のある人が、わたしを含め、なんと3名いたのです。膵臓なんてまったく関係ない会で、メンバーはすべて初対面の方々なのに。びっくりしました。
だからといって病気の話メインになったわけではないのですが!
たまたま食べ物の話題になったとき、食餌制限のあるNさんがわたしに言いました。(←最近はもっぱらトライアスロンを楽しんでいらっしゃるそう)
何が食べられるのか・食べられないのか、しつこく訊かれると、「うっとうしくないですか?」
はい、うっとおしいです。
食餌制限をしている方は心当たりがあるのではないでしょうか。
今ではほとんどないのですが、何が食べられるのかをくり返し訊かれることが、昔はよくありました。
(1回か2回でじゅうぶんなのでは?と思うのですが、けっこうしつこい)
最初はそのことを非常に不思議に思い、ときには傷ついた気持ちになったことも:
- なぜグーグルしないのかしら?
- わたしがウソをついていると思うのかしら?
- もしやこの人も膵臓が弱くて知りたいことがあるのかしら?
- そんなに興味があるならなぜ本を読まないのかしら?
- 〇〇?
- 〇〇〇?
- 〇?
- なぜグーグルしないのかしら?
ところがしばらくして気づいたのです。
しつこく訊いてくる人はたいてい、議論をしたいだけなのでした。
ささやかなパワーゲームです。
そして議論をしたい人の前提は、しばしば:
- ふつう(=自分)と違う(食べ方をする)人には説明責任があり、
- 病気の人は何か間違ったことをしているから病気なのであって、
- 病気でない自分は何か正しいことをしているはず、
- だから膵炎の人は自分のアドバイスにしたがうべき
↑
なんとすっとこどっこいではありませんか。
お腹が大丈夫な人は、必ずしも、正しい食べ方をしているからお腹が大丈夫なわけではなく、
たまたまそのとき膵臓(でも他の臓器でも)が弱っていない状態だから大丈夫なのです。
それに気づく前は、訊かれたことに一所懸命に答えていました。
すっとこどっこいな議論をふっかけられれば、そんなことないよと応戦してみたり。
もらったアドバイスを検討してみたり。
でも、議論したい人は自分が話すきっかけが欲しかったり、戦いたかったり、アドバイスしたいだけです。
あなたやわたしがどうなるかには興味がない。
つかれるので、やめました。
議論に参加しないと、おかしな消耗しないから心身ラクです!
議論をしたい人のアドバイスを聞いてもなんの役にも立ちません。
あなたの身体を世界でいちばんよく知っているのはあなたです。
あなたには議論に参加しない選択肢があります。
本日のスペシャル
1日1新: 塚山公園ハイキング