
燃える質問(バーニング・クエスチョン burning question)って何?かというと、どうしても答えが聞きたい質問、という意味です。
三週間ほど前のこと。大好きなメンターに、
あゆう子 「医師と専門職の方のための英語コーチングをはじめたんです。ウェブサイト作りました」
メンター 「どれどれ?」
あゆう子 「これです」(と画面共有して見せる)
メンター 「・・・・」(最後までじぃっと読む)
見てくれるだけかと思ったら、熱いフィードバックが返ってきた。
「あゆう子さんがなんでこんなにふつうに英語ができるのか、答えが書いてない!」
「最後の Meet your coach. のところを読んでも何にも書いてない!」
「同じように英語を勉強したのに私たちとどこが違うのか、何をしたのか、答えが書いてない!」
「これじゃぜんぜん、わからない!」
わたしも目をこらして Meet your coach. を読みました。たしかに答え、書いてない。すいません。
フィードバックありがとうございます。
わたしはメンターに「やれ」と言われたことは、小さなことから大きなことまで、ぜんぶやります。(←わたしはたまたまそういう性質。ちょっとヘンですが、このへん人それぞれ)
毎日バナナを食べろと言われれば毎日バナナを食べ、枝豆を食べろと言われれば(少しずつ)食べ、博士論文を書けと言われれば(ちょっと先だけど)書くのです。
メンターのバーニング・クエスチョンに戻ります。
・日本の中学高校でふつうの英語教育を受けて
・若い頃には留学してたけど
・その後は日本にしか住んでない
・英語オンリーな家庭環境でも職場環境でもない人が
なぜ毎日ふつうに英語を使い、気分よく話して、本を読んで、ふつうにしているのか。
「同じような境遇だったのに、なんで自分達は英語がつらいのか?あゆう子さんはどこが違うの?何をしたの?それを知りたいのに答えが書いてない!心理学者として言う」
はい。自分では答えはわかっていますし、答えをもとにコーチしたりブログ記事を書いています。(英語学習関連の記事を読んでくださった方は、たしかにそうかも、とお思いになるかもしれません)
でも、誰かに認識してもらえて、自分の身体感覚にしっくりくる、なんども繰り返し語ることのできる、自分の『言葉』をみつけるのは別。むつかしいのです。
これまではその『言葉』がなかった。だから答えが書いてなかった。
で、メンターに言われたら、やるわたし。
4日半ほど引きこもってはげるかと思うくらい考えた。
で、なっとくいく答えが出ました。この先いつ・どこ・だれに訊かれても、バーニング・クエスチョンに心から答えられる。
ウェブサイトも作り直し、コーチングの内容も手直しし。そんなわけで今日はブログに書いてます。
答えを見たい方は『Reclaiming Your Voice in English』 のウェブサイトを読んでください。
https://reclaiming-your-voice-in-english.carrd.co/
なんで答えの部分を、ここに書かないの?不親切?とお思いの方へ:
答えの部分だけ読んでも役に立たないし、燃える質問の答えにもなりません。一行ここにコピー&ペーストしたらむしろ不親切だし、読んだ方のフラストレーションも解消されないので書いていません。
はげそうになって考えた割には答えシンプルすぎない?とお思いの方へ:
はい。自分を含め、これまでの事例をひとつひとつ思い出して分析し、感じ、醸成してできたシンセシスは、うつくしくシンプルでした。
↓『Reclaiming Your Voice in English』ウェブサイトのスクリーンショット↓
この記事を、メンターNさんに捧げます。
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あんなに考えても頭だいじょうぶだったので、もっと使ってもいいかもしれない頭。
一日一新:初めて入ったスーパー
一日一冊:Peter Levine「Trauma and Memory」続き。