イタリア大好き!イタリア語勉強中!イタリア人の友達わんさか!イタリアで買いもの旅行を計画中!
ってわけじゃ、ぜんぜんない。
イタリア人の友達いない、イタリアのレストランの料理たべられない、イタリア語わからない、イタリアの暮らしや文化について知らない。
なのに(しかもわたし出不精なのに)人生で3回、合計すると10週間くらい、イタリアを旅したことがあります。
なぜか。
泊まれる修道院
わたしにとって、安心して泊まれる場所があるところは、安心して旅ができるところ。
記事に書いていますので、よろしければどうぞ。
美術館と教会
たくさんあります。
良い思い出
大学で美術史を専攻していたとき、大好きな先生の専門がイタリアルネサンス美術でした。
先生は第二次世界大戦中、米軍の兵士としてイタリアで捕虜になり。そこでイタリアの美術と建築に魅せられた先生は戦後アメリカに戻り、ルネサンス美術を勉強したのです。
わたしが出会ったころの先生は「もうとっくに引退していいんだけど。フフ」と言いながら、15世紀のフィレンツェの画家の1日のルーティーンを、14世紀の建築家の苦悩を、まるで知り合いのように、まるで見てきたかのように、スライド見せながら語る語る語る。
(これって将来なんの役にも立たないのかもしれないけど楽し~)と夢中でノートを取った記憶が。3年間こんなふうにしていたら、イタリアをうろうろするの、そりゃ楽しいです。
善きサマリア人*
遺伝性の慢性膵炎もちなわたし。診断を受ける前もずっと、身体がおかしいことだけは感じていました。例によって、イタリア北部の街のユースホステルで、ひっくり返ります。
救急車を呼んでくれて、あとからわたしの荷物を持って病院に来てくれて(←1泊入院した)、快復するまでわたしが泊まれる場所を手配して(値段交渉もして)おいてくれて、翌日わたしを迎えに来てくれて、80歳くらい?のマダムひとり暮らしのアパートに連れていってくれ、わたしがマダムにお金を払って落ちつくのを見届けると「旅の続きがあるから」と去っていったメキシコのひと。
マダムのおうちには1週間お世話になりました。イタリア語わからないわたしは「ありがとう」と「おいしい」しか言えないので、出された飲みものと食べものを黙って食べ、あとはふたりでテレビを見て過ごしました。お腹にやさしいご飯はどこにでもあるんですよね。
救急隊員の方がひとり、救急車のなかと、病院に着いたあとも廊下でずっと「大丈夫。すぐによくなるから。旅行中はいろいろつかれるからたいへんだったよね」と英語で話しかけてくれました。
白目のわたしは(しにそう。でもなんかすごいほっとするんですけど。幸せ。ポワワ~ン。カク)
[Image: End of a scarf 17th century, Italian The MET Open Access ]
善きサマリア人のみんなに、この記事を捧げます。
本日のスペシャル
次に行くときは森にも行きたいです。
1日1新:いろいろ教えてくれる人(たくさんいるけど、新たにまたふたり)
1日1冊:Steve Blank「The Four Steps to the Epiphany」、Nicola Griffith「Spear」どちらも続き。