
「瓢箪から駒(ひょうたんから こま)」ということわざが、大好きです。瓢箪は野菜のひょうたん、駒は馬の子、仔馬です。
AI Overview によると、意味は:
冗談で言ったことが現実になったり、思いがけないところから意外なものが出たりするなど、予想外のことが起こることを指すたとえ
由来は:
中国の仙人、張果老がロバを瓢箪にしまっていたという伝説や、瓢箪の中に別世界があるという東アジアの伝承が影響していると言われ
ひょうたんの中に別世界がある、というのがいいではありませんか!(←興奮)
わたしは小さいものの中に世界がある、というビジョンが好きで、ブログもそうだし、家の仕事場、冷蔵庫の中、うつわ、白いご飯におかずを乗せた丼やコンビニおにぎりの中にも別世界を感じる派なのです。
15年くらい?もっと?前。5ヶ月フルタイムで(週に5日だから・・)栄養と薬を点滴するようになる少し前のこと。
体調がどうしようもなく下り坂。もうどうしようもない感じ。
日々よるべない気持ちで、あてもなく仕事して、あてもなく散歩して、坂の終わりに小さなお店をみつけました。器のお店らしい。入る。
ご店主はノートパソコンでオペラ座の怪人(←映画)を観ながらお店番をしてらして、オペラ座の怪人をかけたまま、声をかけてくれました。すてきじゃん。と思ったわたし。
どういう経緯でこのお皿を見せてもらったのかは記憶にないのです。ご店主に「瓢箪から駒」のお皿をすすめられ、ふと
(瓢箪から駒。わたし今ひょうたんからこまが必要だから。買う)
なんか。。高かった。。
ま、いいです。。。
大切に持ち帰った記憶があります。
長くブログを読んでくださってる読者の方はご存じのとおり、わたしはめったに買わない・買うときは早い派です。(←迷うとつかれるので迷う根気がないタイプ)
何があるかわからないから生き延びておこう、ひょうたんからこまだし。
どうにもならないことは認めるとして、可能性と希望は心に置いておこう、ひょうたんからこまだし。
去年いきなり病気が治ったことも、病気以外の出来事も、出会った人たちも、ひょうたんからこま。
これから経験するいろんなことも、ひょうたんからこま。
で、大好きなお皿をメルカリで売っています。
「メルカリ 七寸皿 染付 瓢箪から駒 藤吉憲典」と Google検索すると、すぐ出てきます。
なんで売っちゃうの?とお思いでしょうか。
なんかね、去年の春から1年くらいは考えることがおおく、しかも病気が治った以外にも激しく瓢箪から駒な出来事があり、家に物理的にゲストを招待しなくなって(でも先月お客さん活動を再開!)、そういうときって家にあるものに目が心が行く。
モノが多い、と感じているのだろうか、モノをなくしたいのだろうか、と自問して、そうでもないことがわかった。
瓢箪から駒のお皿は手元に置いておきたい。誰にも渡したくない。でも手元になくてもわたしは大丈夫な気がする。
これから何があってもお皿なくても大丈夫な気がする。
と思ったらメルカリだ!で、こういう話を楽しんでくれる読者の方にもメルカリだ!
と書いてるしだい。
いましんどい思いをしている方へ:とりあえず生き延びよう。ひょうたんからこま。
本日のスペシャルは、本日ひとつめの記事にあります。
ところでわたしが大好きなもうひとつのことわざは「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」。ブログの名前も「馬の骨」だしね。馬の骨、という言葉も好きです。
このデミタスカップも、
ひとりフィーカを支えてくれたティーポットも、メルカリで売っています。
内側のブルーのそばかす?ほくろ?が可愛くて大好き。
こういう写真撮るの無情にたのしいな。