想像してみてください。
今あなたがアンティーク雑貨のお店にいるとします。壁にずらりと鏡がかかっている。
[Image source: Antique mirrors vector design element set, remixed from public domain collection Public domain]
あるいはベルサイユ宮殿の鏡の間にいるとします。アーチの下はすべて鏡張り。
[Image source: Versailles_Palace._Hall_of_Mirrors_1858 Public domain]
あるいはご自宅で。玄関やリビングルーム、脱衣所や寝室など、いくつか鏡があると思うのです。
[Image source: 我が家の南の部屋に立てかけてある鏡。さきほど撮影]
それぞれの鏡の前をとおったときに、自分の姿が映ります。
(・・目の下のクマすごい。寝不足だからしかたないか、ハハハ)とか
(このヘアカットいいじゃん!)とか
そんなことを思うかもしれません。
その中にひとつ、あなたの姿が映ってない鏡があったとします。
(え?)
鏡の前を何度か行ったり来たりしてみたけれど、やっぱり映っていません。
(私がおかしいの?)
(自分の気のせい?)
よくよく見たら映ってないのはあなたの姿だけではなくて。その辺にある物も人も、その鏡には映ってない。なんにも。
ただ、つるりとした鏡の表面だけが、そこにある。
気持ちがわるくなりましたか?
書いてるわたしもうっすら吐き気がしてきました。
世の中には「映らない鏡」のような人がいます。
あなたの気のせいではありません。
自分が相手に「見えている」と思うとき、つまり鏡に映った自分の姿が見えるとき、わたし達人間は安心できますよね。
鏡に映っているはずの自分の姿が見えないと、頭が気持ちが混乱するのです。
映らない鏡のような人に、わたしもたまに出会うことがあります。
たとえばこんな人。しゅっとしてフレンドリーで社交的でユーモアのセンスもある。
社会常識あるし意地の悪いことは言わない。自分だけ強引に話しまくるってわけでもない。
でも話題はすべて、その人(と、その人に関連する物事、場所、人々)のことだけ。わたしが自分のことを話すとその人の目が死ぬ。でも一瞬だけ。目はすぐに生き返って別の話をしています。
2日いっしょに過ごしたら、うすら恐ろしい気持ちになりました。すぅっと離れる。
わたしがこの記事で言いたいのは、
1.映らない鏡のような人は、いる。
2.あなたの気のせいではありません。
すぅっと離れるのが吉だけど、事情がゆるさない場合は、なるべく距離を置くのがいいと思う。それだけです。
本日のスペシャル
映らない鏡のような人は『自分の話だけして人の話は聞かない人:支援するべき?捨てるべき?』という記事に書いた人とはちょっと別のタイプかもしれません。
最近の1日1新:Dan Koe のビデオ(人に教えてもらわなかったらぜったい見ないタイプの番組。ありがたいな)、ベルガモットのキャンディ(香りがよくて味がプレーン❤「だし」の入っていない飴いい!)
1日1冊:Demir and Carey Bentley「Winning the Week: How To Plan A Successful Week, Every Week」、Helen LaKelly Hunt「Receiving Love」各少々。